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場の、今を見、古に学び、先を考えます、申します

統計に傾倒―密集都市東京004―

 東京都の感染拡大が止まりません。今日(5月1日)のニュースで、これまで23区内にしかなかった軽症患者滞在用ホテルが、23区以外にも設置されたと報道されました。東京都23区ってどんな区があるのでしょう。また、23区以外とは?よく知られているのは、八丈島とか小笠原諸島が、東京都であることです。東京のナンバープレートの車が走っているのでしょうね。

 では、東京都内の自治体を概観してみましょう。

 

 最初に使用した東京都の最新の推計人口で確認します。ここでは、現在の最新データである2020年3月1日の推計人口を利用しましょう。

 

 都の下には、区部、市部、町村部があり、町村部は、郡部と島部に分けられるようです。まとめの表には、区部、市部、郡部、島部の4区分の小計値が掲載され、合計13,951,791人、そのうち、区部9,656,295人、市部4,214,303人、郡部56,265人、島部24,928人となります。

 

 区部の23区を確認してみましょう。

 千代田区中央区、港区、新宿区、文京区、台東区墨田区江東区、品川区、目黒区、大田区、世田谷区、渋谷区、中野区、杉並区、豊島区、北区、荒川区板橋区練馬区足立区、葛飾区、江戸川区があります。東京圏の人には当たり前かもしれませんが、それ以外の人にとっては馴染みのない区名があると思います。

 一方、東京に馴染みがなくても耳にする区名があります。大手企業の製品に付されている住所で目にする区があります。私は、公共放送や放送会社の住所が耳になじんでいたりします。例えば、渋谷区神南(NHK)、港区赤坂(TBS)とか。いまでは放送局にメッセージを送るときには、ウェブが使用されることがほとんどだと思うのですが、インターネットが普及するまでは、郵便はがきで送ることが多かったので、テレビ番組で住所が読まれることが多かったと思います。若い世代の方は、きっとURLの方が聞き馴染みがあるかもしれません。

 

 市部を確認してみましょう。

 八王子市、立川市武蔵野市三鷹市青梅市府中市昭島市調布市、町田市、小金井市小平市、日野市、東村山市国分寺市国立市福生市、狛江市、東大和市清瀬市東久留米市武蔵村山市、多摩市、稲城市羽村市あきる野市西東京市があります。

  私たちの世代の多くは東村山市の名前をかなり認識していると思います。小学生の時、亡くなった志村けん東村山音頭一丁目が出たかどうかが、翌週の学校での重要な話題でした。追悼番組で久々に見て、初めて一丁目を見たときの衝撃を思い出しました。志村けんによる東村山音頭は、進行次第では一丁目まで行かなかったのです。志村けんが初めて「8時だよ全員集合」に出たときのこともうっすら覚えている世代ですので。でも、すみません。東村山市に行ったことはありません。

 福生市って読めます?「ふっさ」は、実際に行くことになって、読み方と場所を知りました。米軍ハウスを見に行きました。たしか、東京にやってきた(上京という言葉が嫌いです)福山雅治が最初に住んだのが福生だったと記憶しているのですが、違ったかな。福山雅治は、米軍のラジオ放送FEN(極東放送)に音楽的な影響を受けたと、何かで読んだ記憶があるのですが、どうだったか。

 青梅市も、マラソンが好きな人なら知っているかな。いい日本酒の蔵元があります。風景画が美しい日本画家の美術館が奥山の峡谷の川沿いにあって、ずいぶん前に訪れたことがあります。読みは「おうめ」です。日本画家は川合玉堂です。

 子供の時からの友人が大学に進学して国分寺市に住んだので、学生時代に訪ねたことがあります。やっぱり、武蔵国国分寺があったのでしょうか。そうそう、東京都と埼玉県は、旧の国が武蔵です。日野市は日野トラックの日野自動車の本社があったはず。

 職業柄、学術学会に行きますので、関東方面の大学に行く機会も多いです。東京の大学は、武蔵野台地多摩丘陵に多いです。郊外移転したり、はじめから郊外に開学した場合が少なくないことでしょう。その住所や宿泊するホテルの住所は東京都の市部ですね。

 

 郡部に移りましょう。とその前に、「郡」ってなんでしょう?古語では「こおり」と呼んだはずですが、古代に由来する行政区分では、国の下に郡があり、その下に、町・村・里・郷の区分があったとされます。出典は大辞林です。つまり、郡はすべての地域を区分するまとまりであったわけです。これは、アメリカ合衆国で、市町村というコミュニティとは別に、州Stateの下に郡Countyがあるのと同じように感じます。これもきちんと確認する必要はあります。

 

 江戸時代には、都市的な場所に町奉行があった一方で、農村部には郡奉行がありました。江戸時代に「郡」が農村的な場所を意味する言葉となったのかどうかは、確認が必要です。

 1889年に市制町村制が施行されると、現代の制度につながる市町村が設けられました。市には市役所、町村には役場が設置されました。これらが道府県の下に、ということではありません。町村の上には、郡役所があったのです。市役所と郡役所が同じランクで、「役所」です。統治システム的には、役所は道府県庁と直接やりとりができますが、町村は郡役所を介して道府県庁とやりとりするしかなかったのです。市になるためには、当時2万5千人を超えていて、行政機関や学校の整備、経済的中心性が条件とされていました。しかし、業務の効率化のために、1926年に郡役所は廃止されました。

 で、東京都の郡部は、瑞穂町、日の出町、檜原村奥多摩町の4町村です。研究の関心から、檜原村奥多摩町は耳にしたことがありますが、瑞穂町、日の出町は初めて耳にしました。場所どこだろう?

 

 続いて、島部。まず、4支庁に分けられるのですね。大島支庁三宅支庁八丈支庁小笠原支庁です。北海道出身の私には、石狩支庁とか空知支庁とかいうように、支庁という響きは耳になじんでいます(いまは振興局に名称変更されています)。しかし、そうでない限りはなかなか馴染みがないと思うのですが、東京都の島部にも支庁がありましたね。

 4支庁の下に町村があります。大島支庁大島町利島村新島村神津島村三宅支庁三宅村御蔵島村八丈支庁八丈町青ヶ島村小笠原支庁小笠原村です。

 

 東京都の自治体、ややこしいですね。法則性があるようでなく、気を遣っている、慮っているようにさえも見えます。

 

 2020年3月1日の推計人口の内訳をもう一度確認しましょう。東京都の合計13,951,791人、そのうち、区部9,656,295人、市部4,214,303人、郡部56,265人、島部24,928人です。数年前、あきる野市で農村を見学しましたが、市部が全て都市的な場所ということはありません。とはいえ、市部では都市的な場所に住んでいる人口の方が、大半を占めていることでしょう。郡部、島部からなる町村部は約8.1万人です。東京都は、都市部ともいえる地域に住む住民が、自治体としての東京都における意思決定上の主役といえるわけです。

 

 コロナウイルスの軽症患者が滞在するホテルが、昨日までは東京区部に2軒あるだけだったそうですが、今日市部に1軒が確保され、区部にも墨田区に1軒設置されたと、ニュースで聞きました。四つの区市郡島部の人口比率を見たときに、どうでしょうか、比例しているように見えなくはないですよね。でも、提供してくれたホテルがあっただけかもしれません。とはいえ、人口比率的に、市部にも施設は必要だったことは間違いありません。

 

 都道府県庁には統計部門があり、人口調査はもちろんのこと、各部署でとられた様々な統計が凝縮され、統計書、統計年鑑にまとめられ、刊行されています。インターネットが広く普及した現在では、おそらく全ての都道府県によって、ホームページに掲載されているはずでしょう。 検索サイトにおいて、東京都 統計 で検索をかけると、東京都統計年鑑のページが見つかります。最新版の「平成29年」→「人口・世帯」→「地域別人口」の順にクリックしましょう。東京都統計年鑑には、区部、市部、郡部、島部の自治体について、現在の区市町村域で、1920~2015年の国勢調査人口、2016年、2017年10月1日の推計人口が掲載されています。これはすごい!

 

 ということで、次回は、東京都の自治体の人口推移に注目したいと思います。

 

 さて、郡について紹介しました。現代でも、住所や行政区分で郡の地名が残っています。大阪府豊能郡能勢町とか、兵庫県加古郡稲美町のように、町村がほとんどなくなった現代の大都市圏の府県でも、正式に住所を記すときには、大阪府能勢町兵庫県稲美町と書きませんよね。郡を記すのです。その理由はいつか調べてみたい気がします。

 

 アメリコロラド州を訪れたとき、いくつかのカウンティにまたがるようにして「デンバー市」が存在していると聞いて、地図にもそうあって、びっくりしました。州の税金は郡役所に納税に行く必要があるとも教えてもらい、郡役所があることにも驚きました(日本人の先生から日本語でですよ)。ハワイ州ホノルルの正式名は、City & County of Honolulu、つまり、市役所と郡役所を兼ねている、と称しているわけですね。アメリカの自治体のあり方は、日本とは異なるのです。

 

 昨夜でしたが、たまたまスイッチが入って放送されていたNHK FMの番組で、東京一極集中を客観視、否、揶揄したかのような朗読劇が放送されていたのを耳にしました。ネットで検索してみると、青春アドベンチャー00-03 都より愛をこめて』(全10回)という番組でした。あらすじには、「時は20XX年。21世紀に入り加速した東京への人と富の一極集中。一方で、対極にある地方の破綻。」と始まり、「受けて立つ東京は、遷都論議をうやむやにしたい。そのために影の組織が動き始めた…。」とあります※1。なんじゃそりゃ。

 地理学という研究分野は不平等に注目します。不平等にことさら敏感に反応します。不平等の地理学』という本もあったくらいです。D.M.スミス著。学生時代に読めといわれましたが、読まなかった・・・。それはともかく(汗)、日本の経済的政治的不平等をあからさまにするかのようなラジオ番組を放送するとは、NHK恐るべし。思わず反応しました。聴きたい!でも、しばらくは、ゆっくりラジオを聞く暇がないですなあ(涙)。

 

※1 NHK FM オーディオドラマ『00-03 都より愛をこめて

 https://www.nhk.or.jp/audio/html_se/se2020006.html

統計に傾倒―密集都市東京003―

 2020月1日の推計人口が約1395万人の東京都、約882万人の大阪府の人口が、一体いつからこんなことになっていたのか、という話きです。現住人口の基本調査である国勢調査人口について、webでさぐれるだけ探ってみましょう。

 

 国勢調査総務省統計局が所管しています。含めて、同局は政府統計のハブ(自転車の車輪の中央部分)の役割を果たしていて、「政府統計の総合窓口 e-Stat 統計で見る日本」というサイトを運営し、国の統計を統括しています。

https://www.e-stat.go.jp/

 トップ画面で、国勢調査と入力してもいいですが、順よく見ていくならば、統計データを探す→すべて→左側のメニューの統計分野(大分類)で絞込み→人口・世帯→国勢調査で、過去から現在までの国勢調査データに至りました。

 

 さて、ここから、一つ一つ年をたどっていくのが王道ですが、まあ大変ですね。私は未だに学生時代に国勢調査の本をコピーした紙を保管しています。ここから一つ一つデータを拾って表にしたのですね、手書きで。当然ミスも多かったわけです。

 指導の先生に、確認したのか、と聞かれると、やったはずです、と答えておきます。ミスがあった場合、確認していなかったことがばれたらまずいですから。

 え!?確認したんですけどねえ・・・。いつの時代でも、言い訳は同じです(経験教員にはバレます)。

 

 おほん。

 さて、上から二つ目の「都道府県・市区町村別統計表(国勢調査」、これはくさいですね。くさいもなにも、都道府県って書いてあるし。では見てみましょう。平成12年から27年、つまり、2000年から2015年の表が載っています。2015年を開いてみましょう。エクセルが起動するはずです。日本、北海道、北海道の市区町村ごとの人口が表示されました。ということで、この表で東京都と大阪府を見れば、2015年のそれぞれの人口がわかります。でも、まだ手間ですね。

 

 今時です。都道府県単位の人口であれば、総務省では一発で見られるようにしてあるのです。「事例列データ」をご覧ください。1920(大正9)年から、都道府県別の男女別人口が掲載されているのです。コピーマシンとなっていた私の学生時代に比べて、なんと便利すぎる!

 

 1920年の東京の人口を見てみましょう。3,699,428人ですね。2020年3月の3分の1にも満たない数です。大阪府は2,587,847人で、東京の約6割の比率です。現在の比率は約63%で、似通っていますね。さて、この当時の人口第3位は、愛知県?神奈川県?さあ推測してみて、理由も考えてみましょう。「東京都」ではなく「東京」と記したのにはちょっと理由があります。この時、東京「都」はなかったのですね。それは後ほど。

 

 1920年の3,699,428から、1925年4,485,144、1930年 5,408,678、1935年6,369,919、1940年7,354,971、1945年3,488,284、1950年6,277,500と推移しました。

 

 1920~25年の間には、1923年に関東大震災があり、多くの人が亡くなる甚大な被害が生じましたが、1920~1925年にかけて大幅に人口が増加しましたね。映画『風立ちぬ』では、震災2年後に主人公次郎を訪ねてきた妹の加代が、東京の復興ぶりに驚いています。私は東京の地理には疎いですし、関東大震災と地域の痕跡についてもほとんど知識がありませんが、移入した人口も相まって、すさまじい復興を遂げた可能性があります。

 

 第二次世界大戦終戦の1945年に人口は減少していますが、多くの人が疎開していました。1950年には急速に人口が回復しました。疎開先から戻ってきた人、各地から移入してきた人、兵役から戻ってくることができた人、そして生まれた人、とにかくたくさんの人がこの増加人口に含まれていることでしょう。

 

 なお、東京は1943年まで東京府でした。東京市もあって、麹町区とか神田区とか牛込区なんて区があったのです。博物館に展示されている近代の小説家とかの郵便物で目にすることがありますよ。ところが、太平洋戦争中のどさくさに紛れて、府と市が合体して東京都になってしまいました。戦争保持のためだったのですね。現在、大阪都構想が叫ばれていて、府県と市のバトルは明治時代から起きていることから、良いか悪いかは別にしても、まあ無駄があるという点はわからなくはないのですが、もし東京都を引き合いに出すならば、それはちょっと納得がいきません。東京都制が成立したのにはこうした経緯があるからです。

 

 さて、1950年の6,277,500からは、1955年8,037,084、1960年9,683,802、1965年10,869,244、1970年11,408,071、1975年11,673,554、1980年11,618,281、1985年11,829,363、1990年11,855,563、1995年11,773,605、2000年12,064,101、2005年12,576,601、2010年13,159,388、2015年13,515,271でした。

 

 第二次世界大戦後の東京都は、1970年までに一気に増加しました。1973年には第1次オイルショックがおき、日本は不況に見舞われます。東京都では、人口増加の勢いが緩くはなったものの、それ以降も減少することなく、増加を続けていることがわかります。

 

 一方大阪府は、1920年2,587,847、1925年3,059,502、1930年3,540,017人、1935年4,297,174、1940年4,792,966人、1945年2,800,958、1950年3,857,047と推移しました。

 

 近代の大阪府は、東京府と比べると人口は少なかったのですね。それでも、日本最大の阪神工業地帯を抱え、フル回転で工業化が進みました。大阪府の人口増加はそれを大きく反映したものといえるでしょう。終戦の1945年、多くの人が疎開していた様子がわかります。

 

 1950年の3,857,047以降は、1955年4,618,308、1960年5,504,746、1965年6,657,189、1970年7,620,480、1975年8,278,925、1980年8,473,446、1985年8,668,095、1990年8,734,516、1995年8,797,268、2000年8,805,081、2005年8,817,166、2010年8,865,245、2015年8,839,469でした。

 

 第二次世界大戦後、1940年のレベルに回復するのには、東京都に比べて時間を要しました。東京都ほどの勢いはなかったことがわかります。それでも、二次世界大戦後の大阪府は、大幅に人口が増加しました。しかし、1975年で頭打ちとなって、それ以降はゆっくりと増加してきています。とはいえ、2010年から2015年にかけては減少に転じてしまいました。

 

 1973年のオイルショック以降も人口増加が続き、バブル崩壊後も増加を続けて一極集中と評される東京都と、人口増加が横ばいに転じた大阪府の違いがはっきりしました。

  もう一つのポイントは、東京都も大阪府も、第二次世界大戦前に、一定程度人口が増加していたことです。

 

 東京都と大阪府の人口の話、もう少し続けたいと思います。

 

 そうそう、1920年道府県人口3位は?北海道で2,359,183人でした、4位が兵庫県で2,301,799人、5位が福岡県で2,188,249人、6位が愛知県で2,089,762人で、7位が新潟県で1,776,474人、8位が長野県で1,562,722人、9位が静岡県で1,550,387人、10位が広島県で1,541,905人でした。移民が集中した北海道の存在感が大きかったのですね。面積も大きかったので、多くの人があちこちでさまざまな仕事に就いていました。矢嶋の先祖もすでに北海道に渡っていて、仕事を得ていました。

 

 日本の人口が5596万人であった1920年産業革命が進展して工業化が進んだ東京や大阪、神戸の存在感が大きくなっていたと考えられます。しかし、京浜工業地帯の中核である東京府阪神工業地帯を有する大阪府兵庫県の、周辺に位置する県は上位に入ってきません。地方の中心的存在の県や(当たり前と言えば当たり前ですが)面積の広い県が大きな人口を有していたと言えます。周辺県を含めて、東京圏、京阪神圏という巨大都市圏を成している現代とは様相が異なっていました。これについては、先々考えましょう。

 

  そもそも国勢調査が始まったのは、大正9年、西暦で言うと1920年です。世界基準の調査実施の要請を受け、本当はもっと前から始める準備をしていたものの、2度の戦争で延期されました。詳しく述べますと・・・。いやいや、今時の日本政府のこと、国勢調査の歴史を伝えるサイトが作られています。講談風です。今年で100周年なのですね。

https://www.stat.go.jp/data/kokusei/2020/ayu

 

果たして今年無事に調査できるのでしょうか。実施日である10月1日のことは、関係者以外は心配していないことでしょう。

統計に傾倒―密集都市東京002―

 東京の近隣商店街やスーパーマーケットが三密になっていることをきっかけにした記事、「統計に傾倒」ー密集都市東京―続きの002です。統計ネタは多くなると思いますので、副題をつけました。

 

 東京都がStay Home期間に突入しました。東京都の買い物における三密回避のための策の一つが、買い物を三日に1度にする提案でしたね。感染拡大防止のためには、有効だとは思います、とりあえず申しますと。

 

 さて、東京都と大阪府の人口を見ていく前に、まず人口の統計についてのお勉強です。

 

 日本の人口統計では、国勢調査人口、住民基本台帳人口、推計人口という概念があります。国勢調査西暦で末尾0年と5年、つまり5年に一度、政府によって調べられて明らかになる統計調査で、現在そこに住んでいる人に対する調査で判明する人口です。アンケート形式で行われるため、大変な手間と費用がかかります。住民基本台帳とは、いわゆる住民票の人口です。市役所や町村役場では、日々人口の転出・転入を把握していますので、やろうと思えばいつでも算出できます。

 

 学生で住民票は実家にあります、という人がいます。扶養扱いにする必要とか、実家なんだからとか言うことで、大方家の事情で住民票は実家のままという場合が多いのですね。もし神戸学院大学の学生で、大学の周辺に住んでいて、住民票が実家の札幌市という人がいるとするならば、現住所は神戸市西区であり、住民票上の住所は札幌市ということになります。国勢調査では神戸市西区に住んでいることとなります。でも、住民票が必要と言うことになった場合には、実家の親に札幌市の区役所に交付してもらいに行ってもらうこととなります。成人式の案内も神戸市からは来ません。住民票がある札幌市役所から実家宛に送付されてくることでしょう。私の学生の頃、住民票は実家の札幌にありましたが、運転免許を取得するときに、住んでいた大阪府に移しました。それまでの私は、大阪府にいないことになっていました。住民票がない以上、住んでいた市は私の存在を把握していません。その市の人口には数えられていない人口だったのです。

 

 学生時代、国勢調査で町内会の人が下宿に来た記憶があります。住民票があろうがなかろうが、日本人だろうが外国人だろうが、一定期間以上居住している人を対象に行われるのが国勢調査です。いまそこに住んでい人の実態を把握する調査なのです。

 

 推計人口は、国勢調査国勢調査の間を埋めるために行われている人口推測結果とのことです。国勢調査の人口に基づいて、住民基本台帳人口の変化も参考にして、今現在これくらい住んでいるんとちがうか、と推測されている人口で、毎月1日に算出されて、都道府県、国でも集計されています。次のサイトに紹介があります。

 

 総務省統計局ホームページ「推計人口」

 https://www.stat.go.jp/data/jinsui/qa-1.html

 

 住民票人口は確実に把握できますが、いまその市町村に本当に住んでいる人口はわかりません。でも、住んでいる人のための対策を市町村がする必要が生じたとき、ずれていたらどうしますか?大学がないような地域の場合、学生世代の年代がそこにいないけども住民票は置いたままになっているケースが考えられ、住民基本台帳人口が国勢調査人口より多い可能性がありますよね。逆に、大学が集中する大都市、例えば京都市では、住民基本台帳人口が国勢調査人口より少ない可能性があります。そんな大都市で、不幸にも災害が起きたとします(仮の話です)。現場で対応にあたるのは市役所や町村役場の地方公務員たちです。緊急出動が発令され、災害体制で出動します。さて、どうでしょう、災害時、そこに何人が住んでいるかがわからないまま、避難所の準備、非常食の用意、できますでしょうか。とうていできませんよね。道路網の整備などの都市・農村の地域計画でも、実際そこに何人住んでいるのかを把握することが、最も基本的な作業になるのです。

 

 定義をおわかりいただけましたか。

  

 さて、2020年3月1日の推計人口が約1395万人の東京都、約882万人の大阪府。いつからこんなに人口が多かったのでしょうね。次回、遡ってみたいと思います。

 

 最後に一つ。東京都の買い物における三密回避のため、買い物を三日に1回にするという呼びかけについてです。フードデザート、食の砂漠という用語を思い出してください。フードデザートをテーマにした矢嶋組1期生の卒業研究があったことも、卒論始動時に聞いたことを思い出す人もいるかもしれません。さて、2期生より後の矢嶋組卒業生は、フードデザートを取り上げた農林水産業と食料についての講義を思い出してください。NHKクローズアップ現代の番組を、ビデオで見たことでしょう。

 

 2010年2月放送「“フードデザート”~広がる食の砂漠~」

 https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/2849/ 

 

 紹介された地方都市である水戸市在住の高齢女性の事例では、近所のスーパーマーケットが閉店したため、買い物先が遠くなりました。その結果、買い物の量を減らしていましたよね。今回心配なのは、一度にたくさんのものを買って持ち帰ることが困難な高齢者です。政治家には大局的観点が求められますが、災害時には細やかな対応が必要です。高齢化社会が進行する日本では高齢者への配慮はとくに重要でしょう、高齢者の投票率は高いのですから。当然そこまで策は打ってありますよね、小池知事。

 ついでに余計なことをもう1点。どんな高齢者でもおわかりになる言葉で策を述べられることを提案申し上げます。日本で公用語とされているのは日本語だと思うのですが、いかがでしょうか。

 

 

って、見てるわけねーよ!(はりせんぼん風)

統計に傾倒―密集都市東京001―

 東京の近隣商店街や郊外のスーパーマーケットの大混雑ぶりが報道で伝えられています。三密を避けろといわれているなかで、困ったことのように報道されています。たしかに困ったことですが、生活に必要な買い物に出ている人が少なくないのでしょう、不要不急ではない、とはいえないのだと思います。どうしようもないことですが、そもそもの問題は東京に人が多すぎる点です。これは人口密度をみればわかります。

 

 平常時であれば、とっても便利な統計書、矢野恒太記念会編集発行『日本国勢図会(ずえ)』各年版をみればすぐわかるのですが、自宅に常備しているのは、地理学者、経済学者、高校や予備校の地理、現代社会の先生くらいでしょうね~(^^; ←常備してます)。

 

 図書館も書店も閉鎖されているこんな状況下では、ネットで閲覧できる、都道府県ホームページの統計窓口を活用しましょう。感染者が最も多い東京都と第2位の大阪府を比べましょう。

 

・東京都の統計 https://www.toukei.metro.tokyo.lg.jp/index.htm

 >統計資料を探す:分野から探す

 >2.人口・世帯>東京都の人口(推計)>統計表

 >令和2年 毎月1日現在の推計>3月Excelをクリック

 

大阪府の統計情報 http://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/top/index.html

 >統計調査分野別索引 人口・労働>大阪府推計人口(月報、年報)

 >推計人口(月報)>毎月推計人口 令和2年3月1日現在 Excelファイルをクリック

 

 これによると、東京都では、2194平方k㎡に約1395万人もの人が住んでいて、人口密度は6359人/k㎡です。東京都23区に限れば、その人口密度は15387人/k㎡にもなります。一方、大阪府の人口密度は4629人/k㎡で、中心市である大阪市でも12180人/k㎡であり、東京都23区の高さが際立ちます。

 

 東京都23区の区ごとの人口密度を見ると、東京都で最も高いのは豊島区で、23106人/k㎡にもなります。そして、2万人を越えているか、近い数値の区がいくつもあります。一方、大阪府で最も高いのは大阪市城東区で20050人/k㎡ですが、人口密度が高い区はさほど多くはありません。

 

 東京都、とくに23区に人口が密集していることがよくわかりました。

 

 ちなみに、東京都23区の人口は約966万人です。大阪府の人口は約882万人で、そのうち大阪市は人口約274万人で、24区あります。そういえば、私が学生だった頃に、数が減りましたね。

 

 東京都と大阪府の現在人口を起点にして、もう少し探って考えていきましょう。

 

※4月25日 副題「ー密集都市東京―」をつけました。

事例001-4 すぴんあうと 農業機械のCM

 今回、井関農機が検索でかかって、どこが本社かなあと思って企業情報を見ましたら、愛媛県松山市の企業でした。私が子供の頃、イセキトラクター、というテレビCMがよく流れていました。当時のことですから、力強い男のトラクターというイメージです。次の動画の8分46秒付近です。

https://www.youtube.com/watch?v=OjQu74gHk-w

なんと、「若大将」、つまり加山雄三が歌っていました!

 

 少なくとも、1970年代、ヰセキ、ヤンマー、クボタと、農業機械のコマーシャルをよくみました。農業が基幹産業であり、農家という大きな市場がある一方、高度経済成長期の重工業大量生産の時代となって農業機械の量産化も進み、テレビ放送も軌道に乗ってテレビの普及が進む中で、こうしたCMが多数つくられていたのでしょう。そして、ヰセキのように、地域に根ざして発展した農機メーカーも成長したのでしょうね。

 よく見ると、前衛芸術がはやった頃のCMや、ベタに笑いを求めたCMもあります。時代性が感じられますね。

 

 井関農機のホームページにある動画ギャラリー、下方にある、「農業や農業機械を通じて食の大切さをお伝えします。」「お米ができるまでの工程をご紹介。は有用ですね。

 

井関農機株式会社ホームページ>井関について>企業情報>動画ギャラリー

 https://www.iseki.co.jp

事例001-3 農道を行く 高まりに生える木

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 木に注目してみましょう。

 

 この木の、ある高さ以上の枝が全て細いことがわかりますか。こうした木を台木といいます。元々こうした高さに到達しないというわけではありません。どうしてこんな形状をしているのでしょうか。

 

 こうした形状になったのは、太い幹の部分から上の枝を刈り続けたことによります。最後に刈られてから育った細い枝が育って今に至っているのですね。実はこのとき現場で私は、刈られた枝が使われることばかりに注目していました。

 

 隣の木とは間隔があり、さらに左奥の方にも木が見えていて、生やしてあることが想像つきます。この高まりには用水路が流れていますので、この木は水気に強いことも想像できます。この木は、どうも柳の仲間らしいのです。

 

 枝を刈っておき、木と木の間に長い竿を渡しておけば、物干しに使えますね。ここは水田地帯、稲刈りをした後に干しておく、はざ木の台として使用していた可能性が考えられるのです。刈り取った後の稲は、穂が下向きになるように、棒や竿に渡してかけて干します。乾かすとともに、茎にある養分を穂に集まらせると聞いたことがあります。刈り取った場所で干せれば、それに越したことはありません。コンバインで収穫するようになるまでは、水田ではざかけをしていたそうです。

 

 検索サイトで、「はざかけ」「写真」で検索をかけてみましょう。多くは稲刈りした後の水田(圃場、ほじょうといいます)で干している写真だと思いますが、数十枚目くらいで、圃場の横の木を利用して干している写真が、何枚か見つかりませんか。まっすぐな木の写真ばかりですけどもね。これではないかと思うのです。2014年10月に大阪府茨木市で矢嶋がたまたま撮影した写真があります(注1)。

 

 刈られた木の枝がどう使われていたか、確実なところは聞き取りをしないとわかりません。この場所は加古川右岸側、二級河川法華山谷川沿いの平野で、温暖であった縄文時代には海であった可能性もあるような低平な地形で、おそらく江戸時代にはほとんど農地になっていたことでしょう。見えている里山までは少し距離があり、木は貴重です。大切な燃料・肥料の一部として使用された可能性はあるのでしょうか。実は、この時、現地ではそう考えて説明した記憶があるのですが、柳は薪材として積極的に利用される木ではありません。とはいえ、ネット検索で暖炉愛好家のサイトを眺めた限り、じっくり燃える木であるとか、火持ちはしないと紹介するサイトがあり、薪として使用できないことはないようです。「柳」「薪」で検索をかけてみましょう。

 

 木は生える場所を選びます。縄文時代は海であった可能性がある低湿な場所で、そもそも大量の水が流れる用水路沿いでしっかり生える木で、しかも薪としても使える柳が選ばれたのかもしれません。盛大に日陰をつくっては、稲の生育に影響が生じますので、育つために必要な葉を最低限残していたことでしょう。最低限の日陰は、作業の休憩時に木陰をもたらしたことでしょう。

 

 稲刈りを手作業で行っていた時代や、稲刈りだけを行う稲刈り機が使用されていた頃までは、稲わらをはざかけしていました。しかし、ある機械が導入されたことにより、はざかけをする必要がなくなりました。それが、現代のほとんどの稲刈りで使用されていると考えられるコンバインです。井関農機ホームページ「商品情報」「コンバイン」によれば、稲を刈取って、籾を脱穀し、裁断などのわらの処理まで行う機械で、コンバインが自走して稲刈りをしながら脱穀まで行い、稲わらは裁断してしまうため、はざかけの作業が不要になったのです。そのため、この柳ではざかけをすることがなくなった可能性があります。それまでは、枝は定期的に刈られていたのが、放置され、ほぼ同じ太さで太くなってしまったのです。コンバインが普及した時期には、家庭にガス調理器や湯沸かし器、ガスや石油を利用した風呂釜が普及し、薪を集める必要もなくなっていたはずです。

 薪で風呂を沸かす光景は、映画『となりのトトロ』で、引っ越して間もない家で五月ちゃんが風呂を沸かすシーンを思い出してください。1960年代半ばに家庭でガスが使用されている様子は、映画『コクリコ坂』の前半で、メルが自動点火装置がないガス台にマッチで着火して、朝ご飯をつくる様子が描かれています。

 

 コロナウイルスが収束したら、夏であれば夕方に、秋であれば稲刈りの合間の休憩時、農家の方の手が空いた隙を見つけて、ベテランに話を聞いて確認してみましょう。

 

以上までが推測結果です。推理に近いでしょ?(「待てよ・・・」by江戸川コナン、探偵さ♫)

 

<注>

注1 はざかけの例です。2014年10月に、大阪府茨木市の中心部を通る産業道路沿いで、たまたま撮影した写真です。

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<参考公式サイト>

井関農機株式会社ホームページ「商品情報」「コンバイン」

 https://www.iseki.co.jp/products/combine/

 

 

2018年6月中旬 兵庫県加古川市

Middle in Jul., 2018. Kakogawa City, Hyogo pref.

SONY Cyber-shot RX100M3

3・4回生矢嶋組連絡 オンライン授業、ゼミのための通信環境整備

2020年4月16日に4回生メール一斉送信を一部修正し、2020年4月17日に3回生にメール一斉送信(ブログ版で加筆した部分を【 】で、修正した部分を《 》で示しました)
 
矢嶋組のみなさん

 矢嶋です。今週になって大学の前期の授業方針が確定し、昨日全国に緊急事態宣言が発出され、日本のしばらくの状況が見えてきました。緊急事態が当面続く可能性があります。場合によってはみなさんが4回生になるまで、最悪の場合、再来年の卒業式まで、こうした状況が続いてしまうかもしれません。備えるしかありません。矢嶋は、日曜日にガラケースマホに切り替え、LINE、Skypeでのやりとりに一応成功しました(よくわかってませんけど、汗)。スティックのり(大)より少し大きいくらいの容量5000のモバイルバッテリーも手に入れました。起こりうる最悪の状態に対応するためです(コロナ+水害・地震とか)。
 
Skypeは、パソコンにインストール後、数分でできました。さきほど、3回生M君とZOOMでミーティングをして、使い方を教えてもらいました。ZOOMは、月曜日に一度会議を経験しましたが、すぐに使えるようになりました。慣れたら楽ですよ。画質はZOOMが格段よいですね。
 
 なんだか、ゼミも矢嶋組卒論中間発表会も、ZOOMでできそうです。みんな、やっちまえ♫
 
 
1. ゼミ、授業のための通信環境の整備の勧め

(1) 想定されるオンライン授業の様子
 すでに学長から前期の授業は全てオンラインで行われることとなりました。ゼミもです。大学がすでに持っているdotCampus(ドットキャンパス)が授業に使用され、ワードやパワポをPDFに変換したファイルや、音声データのmpg4、動画も入ったmpg4を閲覧します。また、ZOOMという会議システムが使われることになっています。それで足りない場合には、Skypeによるビデオ通話もあり得ると思います。
これらの大量の情報のやりとりと、文字が見える大きさで表示するためには、スマホでは限界があります。また、重いファイルも開けるようなウェブ環境が必要です。そのため、自宅にWi-Fi環境がない方は、できるだけ整備することを勧めます。また、自宅で家族共用のパソコンを使っている方は、長時間占有することになります。安くてよいので、自分専用のパソコンを持つ方がよいでしょう。家の用事でパソコンが使えなかったということが長く許されるとは思いません。自分専用を持っておいた方がよいです。
 
(2) 自分専用のパソコンを持っていない方へ
 自分専用のパソコンを持っていない人は、中古でもよいので、入手を試みてください。いままで矢嶋研に来たことがある人で、矢嶋研のノートパソコンを見たことがある人もいると思いますが、矢嶋研のパソコンはほぼ全て、ソフマップ楽天で、税込み5万円未満で手に入れた、Windows用のアウトレット品や中古品です。7、8年使用してきたパソコンもあります。多少重くても、頑丈なものを選びましょう。
例えば、中古パソコンは、ソフマップの通販サイトが便利です。保証付き中古が並んでいます。【4回生の夏を過ぎて中古を購入して、卒論を乗り切った卒業生がいます。
 
 その際、Windows10が搭載されているパソコンを選ぶようにしましょう。内蔵カメラも必要です。値段が安くても、サポートが終わったWindows7や、サポート終了が近く、動作も重いWindows8、あるいは8.1はお勧めしません。
 
(3) マイクロソフトオフィスについて
 マイクロソフトオフィスは、うちの学生である限り、大学のoffice365サイトからダウンロードしたものを、学生の間ならば無料で使用できます。オフィス互換ソフトは、機能が限定されていたりして、ほかの学生のファイルを閲覧できないことも想定されますので、できるだけ使用しないようにしましょう。
 オフィスはパソコンにインストールするようにして、クラウドにあるoffice365に依存しないようにしてください。《去年、office365がダウンしたことを思い出してください。
今後利用が集中すると、長期間ダウンすることもなくはないと想像できます。
 
(4) ゼミや授業のための通信環境について
 文科省は、この状況下でも、教員と学生の双方向的やりとりが行われることを、授業成立の条件にしています。つまり、授業を流しっぱなしで、サボっている学生がいてもわからないという状況は許されないこととなります。よって、ゼミ運営もこれまでのやり方を応用し、かつ双方向になるように工夫を考えます。とはいえ、ゼミや授業では大容量のデータ通信が発生する可能性が高いです。スマホの7GB上限など、すぐに吹っ飛んでしまうことでしょう。また、テレワークが進み始めると、当面は通信混雑が頻繁に起きる可能性があります。もし起きたら、どうにもなりません。まだ世の中ではそこまで想定されていませんが、いつか起きる気がします。】
 家のインターネットの大容量通信環境を、できるだけ早く整えるようにしてください。準備ができていない人は至急対策に乗り出してください。それまでは、今あるもので乗り切るしかありません。