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場の、今を見、古に学び、先を考えます、申します

拡大縮小的雑感001

 地歴科教員免許の取得を目指すゼミ生が現れたので、専門教育教職ネタを織り交ぜたい。ゼミ生が見てくれていることを期す次第である。これまで国語、英語、情報の教育実習先挨拶に、あわせて6、7回は行ったし、神戸市の中学校の国語科教員になったゼミ生もいる(はず)なのだが、地歴科で教育実習にこぎ着けたゼミ生はいなかった。強く期待したい。
 
 月曜1限、勤務先の2020年度最初の講義を、ZOOMでのリアルタイム講義で行ってみた。受講した学生は、こちらが泡を食っている、今風に言えばテンパっている様子がよくわかったと思う。パソコン操作というやるべきことが増えて、次に話そうと思ったことを多々失念してしまっていたのである。情けないが、キャパを超えていると言うことであろう。オンライン授業の経験がある教員からも同様のことは聞いていた。
 
 今回、購入したものの使いこなせずにお蔵入りしていた機材が、ここに来て大変役立っている。一つはワコムペンタブレット、もう一つはエプソンのポータブル教材提示装置である。ZOOMの画面共有が非常に優秀で、まさにマルチウインドウで、本人、ネット、タブレット、教材提示と、マルチに切り替えて提示できる。
 タブレットは便利である。色を変えられる。絵も描ける。これは面白い。なぜ使わなかった、バンブー。ただ、確かに便利なのだが、機種が古いせいか動作が粗い。ショックなほど字が汚い(元から?)。
 一方の教材提示装置は、当初インストールしたものの内蔵カメラとの切り替えができず、再びお蔵入りさせようかと思っていたが、念のため確認したところ、きちんと動いた。短気を起こさなくて良かった。で、これはすごい。紙に文字や絵を描いて、それがそのまま画面に表示される。だから教材提示装置なのだが、この当たり前のことができるのがよい。

 1限目、両方起動して使ったのだが、タブレットは字が汚い。教材提示装置は読める。プリントに線も引ける。ということで、紙とペンで描けば、タブレットは必要ないということがわかってしまった。そして、それは通常の授業と同じやり方である。結局、教室での授業と限りなく近いことができるようになるのを目指している自分がいた。この感染拡大が収まった時に、進歩をしていないのではないかと、自ら案じたりもする。でも、性格が守旧派、もとい、懐古趣味なのだから仕方がない。教材提示装置で写るボールペンの曲がった線と悪筆を愛おしんで何が悪い。というか、教材提示装置、ほんと便利。
 
 こうして授業を進めてみたが、学生が見えないので、一人で淡々と授業をせざるを得ない。そうなると、見えない学生が失笑していると想像して、マシンガントークで途切れず、知っている場所とか店とか人の話を織り込んで、たたみかけて(いる気になって)みる。たまに同僚教員と研究分野を引き合いに出し、そのゼミ生がいたら卒業研究でこう役立つと示してみる。そこに、さらに地理ネタと自虐を織り交ぜて次々とたたみかけていく。関連性にもとづく当事者性の自己認識を促進せしむる自虐的放蕩的授業展開といえよう。意味不明である。
 
 はて、このペース、この語り口、自らなんだか懐かしい。
 
 昔予備校講師をしていた頃を思い出した。学生が笑いについてこられなくて遅れるので、先に自分で突っ込んで教壇から笑いつつ、遅れて笑う学生をさらに置いて平然とした表情で次へと進んでいくのが心地よかった。彼ら彼女らは、矢嶋による自虐的放蕩的授業展開の最初の被害者といえようか。
 
 ずいぶん前、それは古くて、でも活気があった震災前の三宮駅、から山手に10分のところのビルとマンションの谷間。目を閉じるといろいろ懐かしい記憶が去来する。それから十数年間、毎週通った三宮。先が見えぬ辛さはあれども、毎週の神戸での授業は、小トリップであった。往事のセンター街が懐かしい。薄汚れたダイエー系列の服屋や雑踏の音。また、予備校の近くにあって、いまはすっかり有名になったらしい食堂の美味しそうな匂いまで思い出すような気がする。

 おっと、夢見心地から現に帰った。脱線していた。明日の準備をせねば。
 
 そうそう、教材提示装置に名前を付けよう。研究室のノートパソコンは、パナ子とか、デル子とか、メーカー名で収まりが良いのだが(レノ子はしっくりこないが)、エプ子だと、なんだか「プ」で窒息しそうな響きである。では、教材提示装置なので、教子(きょうこ)、うーん、本当にいそうでダメだ。またも脱線した。明日の準備をせねば。
本件は当面の課題にしておく。
 

 それにしても、テンパっているの語源を、チコちゃんは知っている(取り上げた)のだろうか。
 
 きーにーなーるー!(キョエちゃん)
 
 
 
5月12日追記
 音声のみで受講する人への対策も必要と考えた。ますますして要を得た言葉で語ることが必要。学ぶなら、落語家か、NHKのベテランラジオアナウンサーか。我ながら、想像が極端である。